無能唱元・・・水に流す
ある人に対して、何となく疎ましさを感じた時は、しばらく少し距離を置いて、その人からは隔だってみることです。
そうすると、疎ましく感じていたその心持ちがかなり薄れてきて、これも何となく不快だった氣分が、それほどでもなくなってきます。
すると不思議なことに、その相手に再会しても、わだかまりがかなり消えていることが多いのです。
とは言っても、以前の氣持ちにまったく戻るというわけではありませんが、とにもかくにも、いわゆる平常心に返るのです。
つらつらと考えてみると、人間関係というものは、このようにしながら「無事」というものを取り戻すらしいんです。
無能にして
あるものの本を読んでいる時に、ふと出会った言葉があります。
それは俳人芭蕉の言葉で「無能にして この一筋につながる」という言葉なんです。
考えてみれば、人間は何かしら自分独自の才能を求め、それを伸ばそうとして生きて
いる生きものではないでしょうか。
しかしそれが、どうも思ったようにはなりません。それで、時にはがっかりして「所詮、人生はなるようにしかならないんだ」とついつい投げやりな氣持ちになってしまいます。
こういう時、この芭蕉の「無能にしてこの 一筋につながる」という言葉に接すると、その深い意味は理解できなくても、なにか不思議な勇氣が湧くのを覚えるのです。
人生とは何か解らないながら、今、自分のやりたいことをやっていると、なぜか自然に道が開けてくる、こんな不思議な体験をすることがしばしばあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幸せは 今いる 場所にある 唱元
しあわせは いつも じぶんの心が きめる みつを
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夢を求め、目標を叶へ 夢は来えず だから夢に向かい 悩み、楽しみ、何かを求め
歩むから 道になり 道を求め 歩む事が 道になり
いったい どの道を 歩む アユミ あゆむ 歩む・・・
唱元 嘘と誠にまみれて
そうすると、疎ましく感じていたその心持ちがかなり薄れてきて、これも何となく不快だった氣分が、それほどでもなくなってきます。
すると不思議なことに、その相手に再会しても、わだかまりがかなり消えていることが多いのです。
とは言っても、以前の氣持ちにまったく戻るというわけではありませんが、とにもかくにも、いわゆる平常心に返るのです。
つらつらと考えてみると、人間関係というものは、このようにしながら「無事」というものを取り戻すらしいんです。
無能にして
あるものの本を読んでいる時に、ふと出会った言葉があります。
それは俳人芭蕉の言葉で「無能にして この一筋につながる」という言葉なんです。
考えてみれば、人間は何かしら自分独自の才能を求め、それを伸ばそうとして生きて
いる生きものではないでしょうか。
しかしそれが、どうも思ったようにはなりません。それで、時にはがっかりして「所詮、人生はなるようにしかならないんだ」とついつい投げやりな氣持ちになってしまいます。
こういう時、この芭蕉の「無能にしてこの 一筋につながる」という言葉に接すると、その深い意味は理解できなくても、なにか不思議な勇氣が湧くのを覚えるのです。
人生とは何か解らないながら、今、自分のやりたいことをやっていると、なぜか自然に道が開けてくる、こんな不思議な体験をすることがしばしばあります。
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幸せは 今いる 場所にある 唱元
しあわせは いつも じぶんの心が きめる みつを
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夢を求め、目標を叶へ 夢は来えず だから夢に向かい 悩み、楽しみ、何かを求め
歩むから 道になり 道を求め 歩む事が 道になり
いったい どの道を 歩む アユミ あゆむ 歩む・・・
唱元 嘘と誠にまみれて
大相撲の八百長騒動
おおよそ、世の中のほとんどのものは、嘘でおおわれ、ぬりかためられているものだが、その中身の中に、真実という「つぶつぶ」のものが入り混じっているのも事実でありましょう。
たとえば、大相撲での八百長が蔓延していても、その数多くの勝負の中には真実の戦いに命をかけている力士も多く居るように・・
この故に、すべての嘘を真実として軽蔑し去るのも、また、そのような嘘は国技としての大相撲には、有り得ぬとして、いちずにその誠実性を信じ込むのも考えものでありましょう。
当たり前のことですが、人間とは、不完全な生きものなのです。嘘が必要な時もあるし、また、嘘があってはならぬ時もあります。これを使いわけて生きるのが、幸せな生き方であると言う他はないでしょう。
アラヤ識の働き
一人だけで、机の前にすわり、ただ呆然と、うたがいもなく晩年のおのれの「今」を見すえている時、際限みなく思い起こされるのは、これまでの「アラヤ識の働き」のことです。
私が「アラヤ識」という、現代語で言えば「潜在意識」または「深層意識」に当たる自意識に氣がついたのは二十四歳の頃だったと思います。
この「アラヤ識」という仏教用語を知る以前にも、かなり子供の頃から、心に思ったことがしばしば体験される(それは一つの恐ろしさでした)ことに氣がついてはおりました。
それが縁あって、その理由は「アラヤ識」という理論的解明をもって、私の意識の中に根付き働き始めたのが「アラヤ識の力」です。
しかし、これに氣がついた後も、この不可思議な力を自分にとって、有利な運命を作り出すものに変える方法に氣がつくまでにはなお数年の歳月を要したのです。
そして私は、しばしば宗教で使われる言葉「ご利益」ごりやく がいかにして生じてくるかを知ったのです。
「ご利益」を生み出させるのは、人間の意識のあり方なのです。そして「ご利益」を失わせるのも、また同じ人間の意識のあり方なのです。
災難や不運はいかにして生ずるのでしょうか?
それは、その人の意識のあり方がそれを招くからなのです。
いずれにせよ、この意識のあり方がその効力を発揮するのは、多くの場合、少なからぬ時間の長さを要します。すなわち、歳月がかかることが多いのです。
しかし、その因果(原因と結果)つまり意識したことと体験することはきっと現れるのです。
だからこの原因を「ご利益」あるものに変える好ましい意識の持ち方は万人にとって可能であり、どんな人もたった今からそれを行えるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
心を常にプラス方向に向けよう・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ツキがある 運が良い、運が無い?・・最近ホテルで泊まり・・トイレが水が流れない、意外と騒音も・・今日はツキが無い?此れって・・因果??
事故、事件に遭遇してしまった・・今日はツキが無い?此れって・・因果??
天災・地震に遭遇してしまった・・今日はツキが無い?此れって・・因果??
心・思考の居場所を・・ネガからポジへ・・強い意識を持って、繰り返し、繰り返し
アラヤへ・・プラス思考をおくり込む
16日朝8時20分頃、夏の訪れ、蝉さんが鳴きました・・
今日は朝から雨・・心は晴れ・・想うのは勝手・・元氣に過す
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
台風被害、地震被害に遭われた方々、お見舞い申し上げます 一日も早い復興を祈ります
おおよそ、世の中のほとんどのものは、嘘でおおわれ、ぬりかためられているものだが、その中身の中に、真実という「つぶつぶ」のものが入り混じっているのも事実でありましょう。
たとえば、大相撲での八百長が蔓延していても、その数多くの勝負の中には真実の戦いに命をかけている力士も多く居るように・・
この故に、すべての嘘を真実として軽蔑し去るのも、また、そのような嘘は国技としての大相撲には、有り得ぬとして、いちずにその誠実性を信じ込むのも考えものでありましょう。
当たり前のことですが、人間とは、不完全な生きものなのです。嘘が必要な時もあるし、また、嘘があってはならぬ時もあります。これを使いわけて生きるのが、幸せな生き方であると言う他はないでしょう。
アラヤ識の働き
一人だけで、机の前にすわり、ただ呆然と、うたがいもなく晩年のおのれの「今」を見すえている時、際限みなく思い起こされるのは、これまでの「アラヤ識の働き」のことです。
私が「アラヤ識」という、現代語で言えば「潜在意識」または「深層意識」に当たる自意識に氣がついたのは二十四歳の頃だったと思います。
この「アラヤ識」という仏教用語を知る以前にも、かなり子供の頃から、心に思ったことがしばしば体験される(それは一つの恐ろしさでした)ことに氣がついてはおりました。
それが縁あって、その理由は「アラヤ識」という理論的解明をもって、私の意識の中に根付き働き始めたのが「アラヤ識の力」です。
しかし、これに氣がついた後も、この不可思議な力を自分にとって、有利な運命を作り出すものに変える方法に氣がつくまでにはなお数年の歳月を要したのです。
そして私は、しばしば宗教で使われる言葉「ご利益」ごりやく がいかにして生じてくるかを知ったのです。
「ご利益」を生み出させるのは、人間の意識のあり方なのです。そして「ご利益」を失わせるのも、また同じ人間の意識のあり方なのです。
災難や不運はいかにして生ずるのでしょうか?
それは、その人の意識のあり方がそれを招くからなのです。
いずれにせよ、この意識のあり方がその効力を発揮するのは、多くの場合、少なからぬ時間の長さを要します。すなわち、歳月がかかることが多いのです。
しかし、その因果(原因と結果)つまり意識したことと体験することはきっと現れるのです。
だからこの原因を「ご利益」あるものに変える好ましい意識の持ち方は万人にとって可能であり、どんな人もたった今からそれを行えるのです。
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心を常にプラス方向に向けよう・・・
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ツキがある 運が良い、運が無い?・・最近ホテルで泊まり・・トイレが水が流れない、意外と騒音も・・今日はツキが無い?此れって・・因果??
事故、事件に遭遇してしまった・・今日はツキが無い?此れって・・因果??
天災・地震に遭遇してしまった・・今日はツキが無い?此れって・・因果??
心・思考の居場所を・・ネガからポジへ・・強い意識を持って、繰り返し、繰り返し
アラヤへ・・プラス思考をおくり込む
16日朝8時20分頃、夏の訪れ、蝉さんが鳴きました・・
今日は朝から雨・・心は晴れ・・想うのは勝手・・元氣に過す
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台風被害、地震被害に遭われた方々、お見舞い申し上げます 一日も早い復興を祈ります




自分流に生きよう
人生雑誌などを読んでいると、皆さん誰でもが、人格的に立派に生きようと努力をかさねていることに驚かされる。
実に真剣に、一途に清く、正しく生きることの大切さを勧めた詩や文章であふれ、かつ、その実践報告が寄せられている。これらの本を読んでいると、私には今さらながらに
「とてもじゃないが、こんな立派に やってられないよ」とぼやきたくなってくる。
無論、人生にはそういう教えが必要なことは解っているし、修養の実践に励むべきだとも思う、だが、いい加減な私は へまばかりを重ねている私にはとても無理だと思えてくるのだ。
すると、めげている私の心にどこからか聞こえてくる言葉がある
「いいんだよ そんなに頑張らなくたって」と・・
「幸せに生きられればいいんだ、それが第一さ」
「どうすれば、幸せにいきられるの?」と私は聞く
「今を楽しく、平和に暮らせればいいのさ」
私は私なりに、向上発展を心掛けている、しかし、決して焦らないし、頑張らない、
偉い人の言うことを聞かないわけではないが、私は自分流に いきている。
そこで一首
見回せば 世間は立派な人ばかり だが人は人 我は我なり
・・・・・
・無為の時・
・・・・・
日頃、仕事を追いかけてじたばた働いている、毎日が忙しい。
するとある朝起きて、ふっと何もする計画の無い時がある、こんな時は少し不安になるものだ。
だが、こういう時は考えを改めて「無為の時は、文字通り有り難い時、尊い時なのだ」と思おうとしている。
老荘の本を読み返し、CDで歌を聴き・・散歩したり・・
要するに生産の時でなく消費の時間に浸るのだ。
「忙しい」とは「心へんに 亡・うしなう」と書く、あまり忙しいと心的エネルギーも目減りしていくのだ。時にはゆっくりと歩行のスピードをさげて、人生そのものを楽しむことも必要であろう。
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バイブルも論語も経もマルクスもヨガも座禅も みな 松葉杖
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お金はこの世を 楽しく遊ぶ 道具です エンジョ・・より
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俺流・・自分流・・エゴに流され 引き戻され 自分に流され
世の目線を気にしたり・・無視したり・・自分 て
世の中 自分は独り 似たような人生はあるけれど
自分に流され・・自分を観つめ・・旅に出掛けるとしますか・・今 活きる
忙しい・・暇・閑 全ての人に同じ24時間・・動と静を使い分ける
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