06年ただ私は生きている
ただ私は生きている
私は歩く、ただ私は歩く、それは健康のためではあるが、それについては何も考えない。ただ歩く、歩き続ける、するといつに間にか、それは楽しくなってくる
そのためには、何も考えず、ただ歩いている。
私は眠る、ただ私は眠る、それは休息のためではあるが、それについては何も考えない、ただ眠り、眠り続けている、するといつかの間にか、それは楽しくなってくる。
そのためには、何も考えず、ただ眠っている。
私は食べる、ただ私は食べる、それは生きるためではあるが、それについては何も考えない、ただ食べ、食べ続けるている、するといつの間にか、それは楽しくなってくる、
そのためには、何も考えず、ただ食べている。
私は考えている、ただ私は考えている、それは何のためであるか解らない、それについては何も考えない、ただ考え、考え続けている、するといつの間にか、それは楽しくなってくる、
そのためには、何も考えず、ただ考えている。
私は生きている、ただ私は生きている、何のために生きているのか解らないが、それについては何も考えない、ただ生きていて、生き続けるている、するといつの間にかそれは楽しくなってくる、
そのためには、何も考えず、ただ生きている、ただただ今日も生き続けている
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あるがままに あるがままに 色も形も なにも たさない なにも ひかない
私は歩く、ただ私は歩く、それは健康のためではあるが、それについては何も考えない。ただ歩く、歩き続ける、するといつに間にか、それは楽しくなってくる
そのためには、何も考えず、ただ歩いている。
私は眠る、ただ私は眠る、それは休息のためではあるが、それについては何も考えない、ただ眠り、眠り続けている、するといつかの間にか、それは楽しくなってくる。
そのためには、何も考えず、ただ眠っている。
私は食べる、ただ私は食べる、それは生きるためではあるが、それについては何も考えない、ただ食べ、食べ続けるている、するといつの間にか、それは楽しくなってくる、
そのためには、何も考えず、ただ食べている。
私は考えている、ただ私は考えている、それは何のためであるか解らない、それについては何も考えない、ただ考え、考え続けている、するといつの間にか、それは楽しくなってくる、
そのためには、何も考えず、ただ考えている。
私は生きている、ただ私は生きている、何のために生きているのか解らないが、それについては何も考えない、ただ生きていて、生き続けるている、するといつの間にかそれは楽しくなってくる、
そのためには、何も考えず、ただ生きている、ただただ今日も生き続けている
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あるがままに あるがままに 色も形も なにも たさない なにも ひかない
ただ あるがままに みる あるがままに みる ただ みる ただ みる
雲に心の反映を見る
昔何かの本のタイトルだったように思うのですが「雲は天才である」という題名があったように覚えております。それがどんな本だったのかその内容はさっぱり記憶にないのですが、私はこの「雲は天才である」というネーミングがいたく氣に入っているのです。
というのは、私には時折り、雲をぼんやり眺めて、何か夢想している癖があるからなんです。私は雲の形からさまざまなイメージを受け取ります。
そんな時、未来へ対する何かの直感力が働き始めるのです、時には何かに迷ったり、悩んだりしている場合、すぐれた回答を受け取ることさえしばしばあります、こうなると、本当に雲は天才なのかも知れませんね。
私の家から・・すこし先に丘があり・・散歩でこの丘へ行き、そこで思索に耽ることが多いのです、その丘に居る時、しばしば空にはさまざまな雲が湧き出すのです、時にはそれらは変貎し、いろいろと私に語りかけてくるのです。
私は昔から、そういう雲の動きが好きでした、その変化する雲の姿は、私にいろいろな空想をさせてくれました、私はギターを弾きます、自分で作詞作曲し、自分で歌うのです、昔作曲したものに「雲とあなた」という歌がありました、まあそれくらい、雲を見つめるのは好きだったのです。
何かに疑問を抱いている時、何回もその答えを、雲の変容から受け取ったものです、雲は私の心の反映をしているのです。
私は雲の姿から、さまざまな印象を受け取るのですが、その姿には暗く悲しげなものと、明るく喜ばしいものとの二つの感じに分かれることが、しばしばあります。
こういう場合、私は敢えて悲観的な部分は切り捨てて、喜びの映像の方を、答えとして採用するようにしております。
なぜかと言えば、われわれ
人間は自らの 運命の 選択者 でもあるのですからね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
雲に陽光があたり・・刻々とその輝きと、雲の流れ形が変化していく、・・
観ていて面白いですね、・・自然の作為には・・正しく、ある偉大なる力を感じえます・・
二辺往来でもマイナスからプラスへ・・プラスからプラスへ
そして活かされていると・・感謝
昔何かの本のタイトルだったように思うのですが「雲は天才である」という題名があったように覚えております。それがどんな本だったのかその内容はさっぱり記憶にないのですが、私はこの「雲は天才である」というネーミングがいたく氣に入っているのです。
というのは、私には時折り、雲をぼんやり眺めて、何か夢想している癖があるからなんです。私は雲の形からさまざまなイメージを受け取ります。
そんな時、未来へ対する何かの直感力が働き始めるのです、時には何かに迷ったり、悩んだりしている場合、すぐれた回答を受け取ることさえしばしばあります、こうなると、本当に雲は天才なのかも知れませんね。
私の家から・・すこし先に丘があり・・散歩でこの丘へ行き、そこで思索に耽ることが多いのです、その丘に居る時、しばしば空にはさまざまな雲が湧き出すのです、時にはそれらは変貎し、いろいろと私に語りかけてくるのです。
私は昔から、そういう雲の動きが好きでした、その変化する雲の姿は、私にいろいろな空想をさせてくれました、私はギターを弾きます、自分で作詞作曲し、自分で歌うのです、昔作曲したものに「雲とあなた」という歌がありました、まあそれくらい、雲を見つめるのは好きだったのです。
何かに疑問を抱いている時、何回もその答えを、雲の変容から受け取ったものです、雲は私の心の反映をしているのです。
私は雲の姿から、さまざまな印象を受け取るのですが、その姿には暗く悲しげなものと、明るく喜ばしいものとの二つの感じに分かれることが、しばしばあります。
こういう場合、私は敢えて悲観的な部分は切り捨てて、喜びの映像の方を、答えとして採用するようにしております。
なぜかと言えば、われわれ
人間は自らの 運命の 選択者 でもあるのですからね。
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雲に陽光があたり・・刻々とその輝きと、雲の流れ形が変化していく、・・
観ていて面白いですね、・・自然の作為には・・正しく、ある偉大なる力を感じえます・・
二辺往来でもマイナスからプラスへ・・プラスからプラスへ
そして活かされていると・・感謝
自己重要感について
私は文章的術語として「自己重要感」という言葉をよく使います、しかしこれは日常語として、まだ一般的な市民権を得てはいないよに思えます。
「自己重要感」というこの言葉の意味は「自尊心」にほぼ近いでしょう、要するにこれは、自分は重要な人物であり、人に尊敬されているという自負心と言ってもいい、
まあ言うなればプライドの意味でしょう。
ただし、厳密に言えば、それは「プライド」誇り そのものではありません、それはプライドの基礎をなす言葉であると言えるかも知れません。
この自己重要感が高すぎる人は、とかく「高慢な人物」に見えるし、低過ぎる人は「劣等感の強い人間」だと思われるかもしれません。
いずれにしても、人は誰でも「自己重要感」を持っているし、そして所有するその上下感覚によって、その人の人生はさまざまな運命にあやつられるのだと私は思います。
人の自己重要感は、相対する人によって、上下させられることが多いものです、たとえば、身分の高い人と言葉をかわす場合、
その人の自己重要感は自然に萎縮してしまうことがあります。
しかし、世の中には、自分の身の程をわきまえず、やたらと威張ったり、逆に卑屈なくらいへりくだったりるする人がおります。これらは、そのいずれもその人の運命を損なう場合が多いのです。
さてここで、普通人間の持っている最高の弱点というものについて考えてみましょう、これは、心の弱点と言い変えてもよろしい。
それは、自分の自己重要感を、他人によって高めてもらいたがることです、それは賞賛であり、お世辞であり、褒めたたえる言葉であります、それらはその人の心に堪え難いほどの快感をもたらすのです。
そして、それが価値あることに氣がついている人と、氣がついていない人がこの世におります。
あなたは、この価値あるものを、他人の手に奪われてしまってはなりません。
それは、自分の手で守らなければならないのです、それが、この世におけて成功者となる道であり、幸福の人生を築く方法なのです。
その方法は決して難しいものではありません、それは他人の手を借りず、己れの手で自分自身の自己重要感を高めてしまえばいいのです。
そして、その効果を満喫していれば良いわけです、すなわち、
それは「自尊」の行為であり、また「自愛」の心の在り方なのでであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自己重要は・・
それは賞賛であり、お世辞であり、褒めたたえる言葉であります、それらはその人の心に
与えなければ・・与えられない・・自己になげかける言葉を・・他の人に・・氣持ち良く成る言葉を・・態度を・・
無意識の親切心は・・己に返り・・氣持ち良い・・心・・自尊・自愛
私は文章的術語として「自己重要感」という言葉をよく使います、しかしこれは日常語として、まだ一般的な市民権を得てはいないよに思えます。
「自己重要感」というこの言葉の意味は「自尊心」にほぼ近いでしょう、要するにこれは、自分は重要な人物であり、人に尊敬されているという自負心と言ってもいい、
まあ言うなればプライドの意味でしょう。
ただし、厳密に言えば、それは「プライド」誇り そのものではありません、それはプライドの基礎をなす言葉であると言えるかも知れません。
この自己重要感が高すぎる人は、とかく「高慢な人物」に見えるし、低過ぎる人は「劣等感の強い人間」だと思われるかもしれません。
いずれにしても、人は誰でも「自己重要感」を持っているし、そして所有するその上下感覚によって、その人の人生はさまざまな運命にあやつられるのだと私は思います。
人の自己重要感は、相対する人によって、上下させられることが多いものです、たとえば、身分の高い人と言葉をかわす場合、
その人の自己重要感は自然に萎縮してしまうことがあります。
しかし、世の中には、自分の身の程をわきまえず、やたらと威張ったり、逆に卑屈なくらいへりくだったりるする人がおります。これらは、そのいずれもその人の運命を損なう場合が多いのです。
さてここで、普通人間の持っている最高の弱点というものについて考えてみましょう、これは、心の弱点と言い変えてもよろしい。
それは、自分の自己重要感を、他人によって高めてもらいたがることです、それは賞賛であり、お世辞であり、褒めたたえる言葉であります、それらはその人の心に堪え難いほどの快感をもたらすのです。
そして、それが価値あることに氣がついている人と、氣がついていない人がこの世におります。
あなたは、この価値あるものを、他人の手に奪われてしまってはなりません。
それは、自分の手で守らなければならないのです、それが、この世におけて成功者となる道であり、幸福の人生を築く方法なのです。
その方法は決して難しいものではありません、それは他人の手を借りず、己れの手で自分自身の自己重要感を高めてしまえばいいのです。
そして、その効果を満喫していれば良いわけです、すなわち、
それは「自尊」の行為であり、また「自愛」の心の在り方なのでであります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
自己重要は・・
それは賞賛であり、お世辞であり、褒めたたえる言葉であります、それらはその人の心に
与えなければ・・与えられない・・自己になげかける言葉を・・他の人に・・氣持ち良く成る言葉を・・態度を・・
無意識の親切心は・・己に返り・・氣持ち良い・・心・・自尊・自愛
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